1964.7夏

3年の夏合宿は奥美濃から白山にかけてのブッシュ一杯の山域で行った。私は勝原に置かれた本部担当だった。
まず下見ということで当時和泉村、今は九頭竜湖のあたりに行った。朝日小学校に泊めてもらい、帰りにたくさんのゼンマイを貰った。残念ながら私の田舎にはゼンマイを食べる習慣がなくどうやって料理すればいいのか誰もわからなかった。ワラビと似ているが食べ方が全く異なる。
合宿は順調で暇な本部で釣り糸を垂れていたがたいして釣れなかった。
山に行きたいという欲求を十分貯め込んで合宿後の企画ワンに臨んだのである。

当時白山スーパー林道はまだなかったので三方岩岳から北の山は全く未開拓と思われた。その中の笈岳というのが魅力的に私を捉えた。五万分の一地図だけでは物足りなかったので国土地理院から航空写真も入手して計画を立てた。三方岩から笈の間はすべてブッシュでエスケープルートが無いのでルートを整備しながら往復することにした。

勝原から白川村へ 御母衣ダム
合宿の後、バスを乗り継いで石徹白、白鳥を経て白川村へ向かった。当時御母衣ダムは竣工し、その次の大規模ダムとして九頭竜ダムの準備が行われていた。ちょうどうまい具合に御母衣ダムの堰堤のところでバスのタイヤがパンクし、ゆっくりとロックフィル構造の堰堤の見物をした。ダムの下には建設用車両などがたくさん停めてあり、工事中は盛況だっただろうという飲屋も見かけた。その頃は自然破壊などという発想はあまりなくて力強い息吹を感じたと思う。後に春合宿で再度御母衣ダムを訪れ、地下の発電所を見学した。地下の通路をずいぶん歩いた。

三方岩岳から笈岳
三方岩岳は名の通り頂上に大きな岩壁(加賀岩、越中岩、飛騨岩)を持つユニークな山だ。しかも頂上直下に草地があり水も得られる。
登山路は麓の馬狩から登る。この日は暑い日で合宿集結の睡眠不足もあり辛い登りとなった。登りきるとメンバーからは兎も角腹が減ったの声。合宿の直後なのでみんな大食漢になっている。それで一人当たり飯盒1個(4合)を炊いたところ完食した。これが活動力の源か。
三方岩岳から稜線沿いに笈岳方向へ藪に鉈を入れながら進んだ。田舎の爺さんから借りた鉈の切れ味はとても良かった。瓢箪山(ふくべやま)の辺りまでルートを確保し、後はブッシュ漕ぎの往復となった。この辺りの山は道が無い。しかし雪のある季節には猟師が自由に歩き回っているようである。
私は留守番で谷に下り水を探しに行った。ルンゼ上の所を大分下り水を汲んだ。途中で岩壁に居るカモシカに会った。その頃は猟が盛んだったので野生のカモシカなんかお目にかかることはなかなか無かったように思う。熊の心配も全くしなかった。(爪痕は良く見たが。)その頃は熊は人を恐れていたのではないだろうか。
ところどころに二重山稜になっているところがあり草滑りをして遊んだ。
夕方藪の中で寝転んでいると空を横切って人工衛星が飛んだ。まだアポロが月へ行く前である。

0 件のコメント: