1964.11 奥高野 弓手原

春合宿では里での活動を計画していたのでその手始めに奥高野の今西、弓手原という村を訪ねた。今西はやや中流域の谷に沿った村で林業が主である。村にはかなり活気があるように感じた。ちょうど祭の最中で餅撒きをやっていた。いくつか拾って美味しくいただいたが村の人は変な連中が入ってきて面食らったことだろう。
このころは材木需要が旺盛だったのか山に入ると伐採の現場に出会うことが多かった。このころにはワイヤーロープを張り、吊り下げて山から下ろしていた。皆伐方式で山の斜面には何もなくなってしまう。
以前は切った木材は木馬(きんまと呼んでいた)に載せて木馬道(幅1メートルぐらいの丸木を横に並べたもの)をすべらせて運んでいた。山を歩いていると時々この木馬道を歩くことになる。最近は見たことが無い。
弓手原はさらに上流になり谷が拡がって田んぼなどもあるところである。しかしあまり若い人はおらず農業の将来は苦しかったのだろう。村の人たちと交流会を開いた。過疎化しかかっている村を実際に体験した。
その後あの村はどうなっているのだろう。今は高野龍神スカイラインが村よりはるか上の方を走っている。きっとその道路を使ってどこかへ通勤しているか、ときどき帰ってくるか、そんな生活になっているのではないだろうか。日本の過疎地では恵まれた環境かもしれない。しかし農業だけでは暮らしていける環境ではないと思う。

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